映画「ウトヤ島、7月22日」考察

ウトヤ島映画
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概要

舞台になったのはノルウェーの内陸にある湖に浮かぶ島ウトヤ島

本作は実際に起きた77名の犠牲者を出した「ノルウェー銃乱射事件」を元にした映画。

オスロの政庁舎爆破から始まり、場所をサマーキャンプのあるウトヤ島に移す。
キャンプを楽しむ若者たち。突然爆発音が鳴り始め、叫び声が上がる。
ただ事ではないことを察知し人々は混乱しながらも犯人から逃げていく。

72分ワンカットの臨場感

この映画は一つのカメラが少女を追う形で撮影する
観客は実際に現地で事件に巻き込まれてしまった目撃者の一人になったかの様な錯覚に陥る。

考察

監督が伝えたかったのは何なのか?

監督のコメントでは犯人にフォーカスを当てずに実際に起きた現場での混乱や恐怖を体験した犠牲者やその家族に焦点を戻し、正しく事件を理解する必要があるとしている。

ストーリーや登場人物はフィクションであり、「ドキュメンタリーではない」と劇中のテロップで流れている。本作は突然始まり説明も十分でないまま終わってしまうので観終わった後に疑問が数多く残る作品。事件の全貌を描くのが目的では無く犠牲者目線で見た時のテロの恐ろしさを伝えるという考えなのであればある程度は納得できる。観ていて腑に落ちなかった事を僕なりに考えてみた。

疑問が残る終わり方

実際に起きた事件を元にして犯人像があるにも関わらず犯人に関わる描写が使われていない。

犯人が映るシーンはわずかであり、そのわずかなシーンでも少女と行動をする目撃者目線で追っている為、はっきりとは映らずに遠くに黒いシルエットの人物として登場する。
それが恐怖でもあるのだが犯人のセリフが無いために、訳も分からず始まり突然終わってしまう。

 

救助ボートの色と湖に浮かんでいたボートの色が違う

劇中島の淵に逃げ込む少女が目撃したボートは「黄色」遠くに見えるがずっと同じ位置に浮かんでいて近くに来る様子はなかった。

救助されたシーンのボートは「グレー」のボート。色が違うことから別のボートがあったのではないかと考える。

 

湖に浮かぶ死体を見て引き返すシーン

「泳いで対岸に逃げた人間も居た」事から泳いで逃げる途中に力尽きたのか、島に上陸した犯人から狙撃されたのかもしれない

犯人が複数人居たのであれば逃げようとした人をボートから撃っていたのかもしれない。

 

最後の発砲音は一度のみ

終盤の衝撃的なシーンでは湖側から発砲されて倒れるシーンがあるが、ここの部分のみ発砲が一度のみなのである。

島に上陸した犯人の発砲であれば正面からの発砲のはず。後ろから撃たれたのであれば別に犯人がいたのでは無いかと考えられる。

ウトヤ島の事件、事実では

事件の犯人は単独犯であり、警官の格好をした男が島に現れ、オスロ爆破事件の捜査に来たと言い整列させたところを突然発砲しはじめた。とされている。

劇中逃げる中で一人の青年は犯人は「警官の格好をしていて単独ではない複数人だと思う」と告げている。

突然発砲音が響き渡り走って逃げる友人たちを目撃すればパニックになっていたのかもしれない。

 

事件後、警察の対応が遅れたことを非難されたとされていた

警察の対応が遅れ、到着までにタイムラグが出来てしまった為犠牲者が増えたのではないか?
劇中にヘリコプターが来たが引き返してしまったと言っているシーンがあるがこれは警察よりも先に報道陣が先に到着してしまったが為に起きた事なのではないかと考える。
もしかすると黄色のボートは報道陣のものかもしれない

実際の犯人

確実に殺害するために2回づつ発砲し、生きているか確認するために蹴ったり撃ったりしていた。とされている。

劇中でも発砲音が鳴る際は複数回連続で鳴り響き、その度に恐怖に怯えるシーンがあった。

 

犯行の動機

劇中ではセリフは無くテロップのみ。あえてこの形をとったのは何故なのか。映画では語られてないのでここからは完全に憶測です。

犯人に対しての描写が極端に少ないのは犯人の思想が危険な物と判断した為なのでは?
当初裁判を公開予定で行う所を非公開で進めた。
もしかすると模倣犯が出てくることを危険視して情報を表にしなかった可能性があるのではないか。

詳しく事件の事を知りたい方はニュースサイト等で調べてみてほしい。当時日本では一部の情報しか報道されなかったので全貌を知るのは難しいかもしれない。

被害にあったキャンプは労働党の青年部だった。

最初に爆破された場所は政府庁舎である。
監督のコメントにもあるが「犯行動機は体制への不満であった」と
少し濁してコメントしている
そのあたりを詳しく描くことが難しかったのかもしれない。

エリック・ポッペ監督の意図

「事件の事を正しく理解してほしい」というエリック・ポッペ監督のコメントを自分なりに咀嚼して解釈してみた

犯行そのものを映像化するのは被害者の心情を考えると難しい、
かといってフィクションの要素を強くすると娯楽色が強くなりすぎてしまうので、
あえて事件の全体像は伝えずに疑問を残し観た観客一人一人が自発的に事件を調べて知ってほしい。という事なのではないだろうか

コメント

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